ファッション衣料の染色整理加工を生業として創業以来、2019年に130周年を迎えましたが、常に時代が求める高感度、高品質な加工を開発・提案してきました。
2019年に会社名を株式会社艶金と変更しましたが、旧社名である艶金化学繊維株式会社は、化学繊維の染色整理を目的に1956年に愛知県一宮市で設立されました。1971年には現在地である岐阜県大垣市の豊富な地下水に注目し、大量の水を使用する染色整理業の将来を見越して、新工場を開業しました。さらに1987年にはバイオマスボイラーへの燃料転換を行い、木材チップを使用するカーボンニュートラルを実現しております。現在でも先輩たちのこれらの大英断が企業力の源泉になっています。
平成の時代は、国内衣料生産の激減への対応に追われ、企業存亡の危機を何度も経験するほど苦難の連続でした。都度、お客様や従業員、仕入先様等に助けられてきました。そのご恩は決して忘れません。
それと同時に、エネルギーを大量に消費する染色整理業として何をするべきか模索の日々が続きました。エネルギー消費により排出される二酸化炭素が地球温暖化の大きな原因であるからです。当社の生産活動により排出される二酸化炭素量の数値把握を2018年に環境省の指導を受け行いました。カーボンニュートラルにより二酸化炭素排出量が少ないことも確認できましたし、今後もさらに減少させる野心的な目標を設定しました。
企業として存続しなければなりませんが、土台となるポリシーとして脱炭素経営を宣言したのです。宣言してみると、どういった新規な加工開発を目指すか、設備投資を決断するかが自然と明確に出来ました。
ファッション衣料は、経済原理優先の生産グローバル化により地球の裏側から輸入されることが当たり前になり、価格の低下が進みました。その結果、大量生産、大量消費へと突き進みましたが、一方で日本市場に投入される半分が売れ残りとなり、その多くが焼却処分されていることが報道されたのです。皆が必死に脱炭素、リサイクルを考慮した生産を行っても、結果的に過剰生産していることは必要悪として見過ごされていたのでしょうか?大量生産に支えられた持続不能な社会を循環型に戻すために生産流通の仕組みまでポリシーを持ち、正直にデータをオープンにするお客様と仕事をしたいと思います。
我々のような染色整理加工の中小企業がたどり着くのは、衣料生産のローカル化であると思っています。日々の生活に必要な衣食住は、明日の時代を担う若者子供たちが生産を見ることができるように極力近くで必要分が生産され、長く使い続けることはやはり道理の通ったことであり、グローバル化ばかりの価値観は、国や地域の多様性を排除してしまい、文化レベルの低下を招くと思います。
かつて艶金の工場があった広い敷地がホームセンターとなり、その横に我が家はあります。常に寂しさを感じながら生活していますが、大好きな染色の仕事を続けられることに感謝しつつ通勤しています。
皆様方のご期待とご要望にお答えすべく努力しますので、今後ともいっそうのご愛顧をよろしくお願いします。